The scene

レイテ島便り

「TAのアソシエイツメンバーである
藤井稔さんのレイテ島からのお便り」


 

皆様

初めての方もいらっしゃると思います。今後とも何卒宜しくお願いします。TAネットワーキング(以下TA社)のアソシエイトとしてお世話になっております藤井 稔と申します。

2013年11月に台風30号(国際名称:ハイエン)がフィリピン中部を直撃し、レイテ島とその周辺に壊滅的な被害を与えたことを覚えていらっしゃると思います。死者・行方不明者7千人超。総被災者はフィリピン人口の約16%にあたる1,600万人にのぼります。この被害に対応すべく、各国政府及び援助組織や赤十字は緊急援助を実施し、住居用仮設テント設置や被害を受けた建屋の仮復旧は一段落しました。しかし恒久的な復旧・再建工事はほとんど手付かずの状態です。今年2月の段階で被災住居の復旧が5%にも満たない状態であり、フィリピンのベニグノ・アキノ大統領は改めて復興事業に注力するよう国内関係機関に指示しました。

このうち被害を受けた学校の補修・再建事業の総合監理を行うフィリピン赤十字を側面から支援するため、2014年10月より日本赤十字社から復興要員という立場でフィリピン中部レイテ島の中心都市であるタクロバン市に常駐することになりました。ここで第1期に6学校(52教室)、第2期に(43教室)の合計96教室の恒久的な補修・再建事業を行っていきます。

簡単に前書きを書きましたが、まずレイテ島はどこにあるのか?と思われる方もいらっしゃると思います。首都マニラから南南東の方向約600㎞のフィリピン中部に位置し、ジェット機で約1時間20分のところにあります。観光地として有名なセブ市からは約160㎞。小型ジェット機で30分程度であり、人及び物の流れではセブとの結びつきも強くなっています。

このレイテ島は、太平洋戦争時、レイテ沖海戦で日本側が初めて神風特攻隊による攻撃。その戦いで沈没した戦艦「武蔵」とその最近の発見で名前をご存知の方が多いと思います。またタクロバンはオーストラリアに一時退避していたマッカーサーがフィリピンに再度上陸した地でもあり、戦闘が激化したレイテ島の戦いとその激戦地であるリモン峠など、日本では戦争にまつわる話の方が有名かもしれません。それを案じるように、タクロバン市役所に隣接した慰霊公園にはマドンナ・マリア観音(Madonna of Japan)が日本の戦争遺族会関係者によって1977年に建立されています。その他にもタクロバン及びその周辺には太平洋戦争時を偲ばせる記念碑や慰霊碑が点在しています。

このように太平洋戦争との悲しい結びつきが多いのですが、現地の人びとは日本人に対して大変友好的であり、毎日の業務も楽しく行うことができています。(強いて言えば、もう少し作業スピードを上げてもらえれば助かるのだが・・・。)

行政単位では、レイテ島はレイテ県になります。そしてこのタクロバン市はレイテ県の県庁所在地になっています。台風被害直後は略奪などが発生したため、アキノ大統領より非常事態宣言が一時期発令されました。現在は物品も一通り揃うようになり、休日はコピーブランドのいわゆる「なんちゃって」または「とほほ」的なブランドを見ながら散策も乙なものです。中心街のスーパーマーケットには、しょうゆ、酢、とんかつソースなども割高ではありますが売っており、言ったらキリはありませんが食生活も充実しております。

タクロバン魚市場で今晩の肴(あっ、いや魚)を物色中の筆者食生活といえば、タクロバン魚市場は外せません。マグロは見かけませんが、新鮮なカツオが1㎏=約270円程度で調達できます。店主が錆だらけの斧で「切るか?」と聞いてきます。せっかくのご厚意ですが、ここは丁寧にお断りして自室で捌いています。新鮮なアジやクエ、ハマグリ、さらに海ぶどうも等も安価で調達でき、週2日はこれらの海の幸を刺身などで楽しんでいます。

レイテ島のタクロバンを簡単にお話しましたが、こんなところです。まもなく本体工事着工になります。次回は工事前の状況も交えて工事の様子をお話できればと思っています。

フィリピン レイテ島 タクロバンより。

(藤井)
2015.5.15